シルクロードの玄関先、西安・敦煌までの旅

・はじめに

 

当初の計画では、この夏は成都を起点に西や南に足を延ばして少数民族の文化に触れようと思っていた。けれども出発直前に九塞溝の地震があり、計画は白紙に。チケットを北京行に急遽変更し、計画を練り直すことを余儀なくされた。北京行のチケットといっても直行便ではなく乗り継ぎ便。それに乗り継ぐのも一度ではなく福岡と大連にて二度だ。そもそも盆シーズンに航空チケットを直前で取ろうとするのが無茶な話で、高い出費になった。そんなこんなでどうにか旅の目途は立ったものの、旅立つ以前からどこか嫌な、不気味な予感がしていたのである。

 

北京にたどり着いた。こんなにも東京から北京の距離を感じたのは生まれて初めてで、このままいつまでもたどり着くことは出来ないのではないかという気さえしてきた。加えて、大連での航空機の遅延!北京が豪雨だ何だでキャビンに搭乗してから二時間そのまま機内に放置され、渡されたのは500mlのペットボトルのみ。北京にたどり着いたのは深夜で、腰が崩れてしまう寸前の状態だったのでとにかく就寝。その後親類の家に顔を出したりして何日間か後に高速鉄道西安へと向かった。

 

中国では最近交通網が驚異的なスピードで発達しており、特に高速鉄道は新幹線より早いし飛行機のように遅延がなくて便利になっている。今回も西安まで五時間半ほどで遅延なく到着。数日かけて西安の各所を巡った。

 

北京の地下鉄は非常に発達しておりタクシーよりも安くて便利。大体三・四元で移動できる。大都市以外ではタクシーが大活躍。個人でやってる黒タクはどこかに連れ去られたり法外な値段を請求されると困るので基本的には乗らないほうがいいけれど、正規のタクシーでもメーターを計って領収書をくれるか事前に確認しておき、こちらが観光客で町の事を知らないのをいいことに目的地まで遠回りしてぐるぐる回らないように、スマホで大体の値段を検索して運転手にあらかじめ念を押しておく必要がある。正規のタクシーで遠回りされてぼったくられた場合は、特に夜だとその場では運転手と争わず、後から会社に電話をかけて領収書片手に怒鳴りつけながらクレームを入れると弁償してくれることがある(領収書がないと難しいかもしれない)。タクシーを呼ぶ便利なアプリ(黒タクも来る)があるらしいけれど僕は使ったことがないし、タクシーの運転手に聞いたところアプリが発表された当初は手数料がアプリの開発者元の負担で客もタクシー運転手もWin-Winだったらしいが、最近はアプリの開発元がタクシー運転手に売り上げの何割かを請求するようになりタクシー運転手たちは使いたがらなくなっているそうだ。タクシー以外にも町ではいくつかの会社が運用する公共自転車が目に付く。スマホアプリで自転車の位置を調べ開錠でき、どこに止めてもよくて30分までは一元とかで使えるらしい。ほんの十年前までは車を持っている家庭は少なくて、移動手段と言えばタクシーかバス。道路には三輪バイクとか電気スクーターが走っていて路上にはそこらへんの犬やロバのしたフンが転がっていてよく踏みつけていたものなのに大した変容ぶりである。 

 

西安

西安は中国の歴史上最も多くの王朝の都となった城都である。中国文明の発祥地として「世界四大文明古都」(アテネ、ローマ、カイロ、西安)の一つに挙げられる。ここではまず西安で回った観光スポットを紹介していきたいと思う。

 

兵馬俑

兵馬俑の展示ドームの中は夏だと熱気が立ちこもって下手すると60度の蒸し風呂になるらしい。幸い僕が訪れた日は曇りで涼しく、風が気持ちよかった。

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 僕が訪れたときは前の地震(いつのだろうか?)で埴輪が倒れたのを直してる最中で途中までしか整列されていなかったけれど、それでも古代の秦の兵士たちの隊列は圧巻でその力強さに素直に感動した。展示ドームは一番館から三番館まであり、一番館の奥のほうは修復スペースとなっている。夏休み期間以外は研究員による修復作業の様子が見れるようだ。ドームの壁にクリントン夫妻が埴輪の展示スペースに降りて撮った写真が飾られており、うらやましかった。

 

半坡遺跡

新石器時代の仰韶文化の村落遺跡をドームで覆ってそのまま博物館にしたもので、母系制社会の村落遺跡である。すでに六千年ぐらいの歴史を持っており、文明の息吹を感じることが出来る。出土品の展示では土器に描かれた魚や人面のモチーフが時代を追うごとに徐々に抽象化されていく過程が展示されており興味深い。
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 埋葬された人骨に関する展示も面白く、写真は二人の合葬だが、このほかにも少女の墓、四人の合葬、屈葬などが展示されている。子供はドングリのような形をした瓶に入れられて埋葬されており、確か底に小さな穴が空けてあってそこから魂が抜けだせるようになっているらしい。

 

華清池

楊貴妃の風呂が有名だが、入場チケットが高すぎる。展示も地味でいくら妄想で補完してもしきれない。園内に入ってすぐにところに近代に入ってから有名な彫刻家(?)によって作られた楊貴妃の像があり、今は柵で囲われているので無理なのだが昔は像を登って楊貴妃の乳を揉めたそうだ。写真は楊貴妃が浸かったという風呂。意外と小さい。

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崋山

山頂までのロープウェーの待ち列を並ぶこと五時間。足腰が崩れ落ち発狂しそうになったが心を無にしてどうにか耐えた。ロープウェーは二十分ほどでスリリング。崋山の切り立つ絶景を望める。山頂は最初霧がひどかったが時間が経つにつれ霧も晴れた。

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西頂は恐怖を克服さえすればアスレチックのようで面白かった。登山ルートがあり、そちらは断崖絶壁に打ち込まれた杭の上に並べられた木の板を渡る個所などがあるらしい。

 

大雁塔

慈恩寺の境内にある塔であり三蔵法師の持ち帰った経典が保存されている。塔内には三蔵法師がインドから持ち帰った仏具が展示されてるらしいが、元気がなかったので見るだけで入場を断念。寺のほうは最近復元されたのか真新しく、塔以外には価値を見いだせない。

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西安市内(夜の回民街と鐘鼓楼)

夜の回民街は強烈なネオンに彩られており、人も溢れるほどでとにかくものすごい活気に満ちている。道の両脇には回族の店が連ね、羊肉の串焼きやロバ肉のサンド、餅、冷麺、果物、香辛料などが売られている。道は油でぎっとりとしており、喧騒の中、白い帽子を被った店子の呼び込みの声があちらこちらから沸く。回族イスラム教徒であり、中国では商売に携わっていることが多く、彼らの飲食店を目にすることも多い。もちろん彼らの店では豚が扱われることはなく、酒類も妥協していない限り扱われてはいない。回民街ではすべての飲食店で 酒が扱われていなかった。回民街は観光客向けなので価格設定が少々高い。ただここの雰囲気はカルチャー・ショックを受けるほど強烈なので見に行く価値はあると思う。感覚として店の中の入り口に近い箇所にでかい態度で座っている店主があれこれ店員に口を出しているような店は店員がサボらないのでまともなものが食べられると思う。


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鐘鼓楼は回民街の近くにあり、夜はきれいにライトアップされている。

 

西安市内(古城壁と碑林博物館)

西安旧市街をぐるっと囲む城壁は、唐の長安城を基礎に明の洪武年間(1370年~1378年)にかけて、レンガを積み重ねて築かれたものである。城壁の上は広い道になっておりレンタサイクルなどをして回ることも出来るが、高い。

碑林博物館は漢文の知識のない僕でもさすがに聞いたことのあるような書家の作品が並び、ただ純粋にその書体の美しさに酔いしれることが出来る。写真は拓本の様子である。

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西安の食について

西安で一番有名なご当地グルメは漢字の中で一番画数の多い漢字が使われているビャンビャン麺だろう(画像参照)。日本語のラーメンのラーは中国語で"引く"という意味で、麺を手で引いて作るものから来ている。なので中国のラーメンは日本のラーメンと随分と勝手が違うわけだが、手で打って作るので圧倒的な歯ごたえとスープの絡まりを実現している。今回は回族の店でばかり食事したので回族料理のことしかメンション出来ないが幾つかの発見があった。北京と同じように回民の売る料理でロバ肉を挟むサンドイッチのようなものがあるが北京において肉を包むパンが荒いパイ状の構造をしているのに対し、西安のそれは発酵をあまりさせていないような一枚もので食感も異なる。同じパンをちぎり、ヤギ肉の入ったスープに浸して食べるものがクセはあるが美味しい。朝ごはんは豆腐脳というスープと油揚げを毎日食べていたがこれは北京と味の変わらないものだった。現地の人間も毎日ヤギの焼き串を食べているわけないので、どうやらこのパンに具を挟んで食べたり、他は麺を食べたりしているようだ。野菜料理はほとんど無く、味付けは西域の食べ物の大半がそうであるように塩辛いものとなっている。

 

 

西安の紹介はこれくらいにしておこう。西安周遊を終え、次の目的地にはシルクロードの延長線ということで敦煌を選んだ。敦煌までは途中蘭州(一路一帯政策の影響か西安から敦煌へは蘭州を経由する便しかなかった)を経由して飛行機で移動した。どうやら敦煌へは国際線は乗り入れていないようで、西安では白人旅行客もちらほら見かけたがここでは一気に少なくなった。西安から蘭州への便が大幅に遅延し蘭州のホテルに着いたのは夜中の一時半。蘭州空港は周辺に空港以外何もないような限界集落で当然ホテルも限界。チンピラしかいないような町でチンピラのタクシー運転手とチンピラのホテルの受付嬢にドン引きしつつつかの間の休息...というわけにもいかず朝一番の敦煌行きの便に乗るため五時半に起床した。朝一の航空便は遅れることが少なく、今回も遅延はなかった。敦煌は観光都市なのでほとんどが商売人と観光客しかいない町である。昼間、観光客は市街地へ観光に出かけているので街中は閑散としており気分がよかった。気候は涼しいくらいで朝は上着が必要だった。砂漠の中にある街なのでめったに雨が降らず湿度が低い。太陽の光線がまぶしく空気は少々砂っぽかった。

 

 

敦煌

かつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市であり、近隣にある莫高窟とそこから出た敦煌文書で有名である。特産は果物で、この時期は葡萄、メロン、西瓜、梨、桃などが売られている。特にメロンはびっくりするほど甘い。ハズレを引かないように売り手に包丁で穴を開けさせ、実が甘ければ買うようにした。

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観光客向けに夜市が開かれ、毎夜ヤギの串焼きと青島ビールを胃に流しこんだ。回族による店が多く、西安と食べたものはほとんど似ていたがなんちゃら黄面はここの特色のある麺らしい。基本的にここでも敦煌で回ったところを紹介していきたい。

 

莫高窟

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莫高窟には普通参観と特別参観がある。特別参観で回れる窟は普通参観の四窟に加えてもう四窟、学芸員の気分で選ばれるのだが、一か月前からウェブで事前予約が必要である。オフシーズンだと特別参観で12窟見せてくれるらしい。敦煌につくまでそんなことは知らず、残念ながら今回は普通参観だけとなった。窟内は撮影禁止のため写真はないが、ここは絶対にいくら払ってでも特別参観でないといけなかった。それくらいすばらしいものである。詳細は僕が説明するよりWikipediaを見たほうが早いので割愛するが、これが仏教芸術をベースにした東西文化の融合の到達点にそびえる金字塔以外の何物でもないことに誰も異論を唱えないだろう。

 

鳴沙山、月牙泉

月牙泉の泉は枯れることなく湧き続けているらしい。裸足で鳴沙山(砂丘)に登ろうとしたが息が切れて断念。代わりに一時間程度ラクダに乗ったのだがこれが大変面白かった。

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玉門関、漢長城

敦煌からゴビ砂漠を貫く一本の道路を車で走り続ける。ここから先は西域となる玉門関。荒野の中に佇む土塊の存在感。周りは泉が湧き出ているようだ。筆で描いたような雲の線が美しかった。漢代に作られた長城の西の切れ端。歴史の蓄積と荒野にこびりつくように残る人造物が胸を締め付けるようなもの悲しさを感じさせる。道中にてヤルダン国家地質公園というのもあったが興味がわかなかったのでここでは触れない。ヤルダンの一歩先はもう新疆ウイグル自治区である。

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西域との狭間に至ったところで、今回の旅は終わりを告げる。砂漠の虚無を見つめ、空と砂の境界線に身を置いた僕は古代と悠久の時間とこれからと、交差する時に思いをはせた。

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ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス

そもそも政治経済学部にいてはこんな質問誰からもされないのだけれど(政治経済学部に籍を置いている人間の殆どは無教養[無関心]なので)、一番好きな画家は誰かと聞かれたらウォーターハウスと答えるようにしようと常日頃から思っている。ウォーターハウスの『ヒュラスとニンフたち』を始めてネットで見た時、ただ息を呑むほど繊細かつ可憐なニンフたちの描写にひどく心を打たれた。出来れば現物を見てみたいのだけれど、当分アメリカに行く予定はないし、ウォーターハウスの知名度はそんなに高くないから上野で展覧会が開かれてあちらからこちらへやってくるといったことも考えにくい。ただ、とはいっても今年で没後100年という大きな節目なはずなのに、そういった話が全然ないのはやっぱり寂しい。まともな日本語のまとめ記事もないのでここに書いておこうと思った次第だ。

 

ただ、とはいってもウォーターハウスのバイオグラフィーをつらつらと書いても仕方がないのでそれについてはWikiのコピペを以下に簡単に貼っておくことに留める。

 

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse, 1849年4月6日 - 1917年2月10日)
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・イギリスの画家

・神話や文学作品に登場する女性を題材にした作品が多い

ヴィクトリア朝の画家(ラファエル前派とされることがあるが厳密にはアカデミー側であるため誤り、らしい。当然影響は受けている)

 

作品

ウォーターハウスの作品の中でとりわけ僕が好きな作品をクロノロジカルに紹介していこうと思う。

 

 ・オンディーヌ(1872)
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クレオパトラ(1888)
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・シャロットの女(1888)
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(部分)
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・オフィーリア(1889)
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・フローラ(1890)
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ユリシーズとセイレーン(1891)
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(部分)
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・嫉妬に燃えるキルケ(1892)
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・オフィーリア(1894)
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聖セシリア(1895) 
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 (部分)
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・ヒュラスとニンフたち(1896)
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 (部分)
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・マリアドネ(1898)
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・オルフェの頭部を発見するニンフたち(1900)
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・人魚(1900)
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・セイレーン(1900)
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ボレアス(1902)
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 (部分)
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他にも素晴らしい作品はたくさんあるのだけれど、なかなか解像度の良い画像が見つからないのでこれくらいにしておこうと思う。

 

とにかく、ウォーターハウスの描く女性たちは美しく詩情に溢れており、造形性・素描が確かで、感情表現が豊かであることが十分お分かり頂けたのではないかと思う。古典的な寓意画に題材を取りつつ、19世紀後半の新風がうまく組み込まれたウォーターハウスの作品は我々見る者を魅了して止まないのだ。

アンドレイ・タルコフスキーについて(アンゲロプロスを引き合いに出しつつ)

タルコフスキーの映画には『ローラーとバイオリン』『僕の村は戦場だった』『アンドレイ・ルブリョフ』『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』『ノスタルジア』『サクリファイス』がある。映像の詩人は寡作であり、その作品のどれもが圧倒的な完成度を誇っている。美しく抑制された画面の神秘は魔術であり、見る者を引き込み、離さない。

 

水、霧、風、火、鏡、馬などのモチーフ

タルコフスキーの映画にはよく上記のモチーフが出てくる。僕には何故馬が出てくるのかは分からないしその他のモチーフに関してもタルコフスキー自身では無いので答えは用意できない。加えて、モチーフによる隠喩は観客の知覚から常にこぼれ落ちてゆくものであるし、それが果たして作者の意図と合っているかも分からないのであまり触れないことにしておく(タルコフスキーもイマージュはあくまでイマージュであるみたいなこと言ってた気がする)(逃げの姿勢)。けれど水・霧・風・火・鏡の持つだろうと思われる効果から彼の意図についてなんとなく予想がつく。水・霧・風・火に関してはきっとそのプリミティブなイメージ、つまり野生がヒトの根源的な恐怖を喚起するから使われているのだろう。美しさは負の感情との相性が良い。映像は恐怖を内包すると一段と美しくなる(アンゲロプロスの場合、これは雪だろう)。恐ろしくも美しい映像は人を引き込む。鏡については、後述するイメージについての箇所と関係があると思われる。

 

イメージ

特に『鏡』において、イメージは記憶に沈殿して重なり、合成されたイメージとしてモノクロで提示される。鏡は現実を映す虚構であり、イメージの反復であり、記憶につながるものである。反復されたイメージは例えば『鏡』において、沈殿して重なり、咀嚼され(コードが変換され、プールされ、またイメージの形で)吐き出される。このイメージはタルコフスキー自身の内省的な操作によって生まれたものであるが、だからといってそれがタルコフスキーだけの個人的な営みに終わり、我々観客に当てはまることはないだろうというわけではない。というのも、例えば村上春樹の言うように、自分の井戸を深くまで掘り進めていくと、どこかで地下の水源にたどり着くだろうし、辿り着いた水源へは他の人間も井戸を掘り進めているだろう、だからである。これが世界の救済というテーマに繋がってくるのだろう。

 

長回し

タルコフスキー長回しアンゲロプロス長回しと比べて見ると、そのカメラワークは随分と違う。タルコフスキーの場合、カメラの先の空間は3次元的に切り取られ、その中に敷かれた仮想のレールを役者かカメラ、もしくはその両方が移動し役者は常にカメラに捉えられ画面の中に据えられる。であるから例えば『サクリファイス』における老人と孫、その周りを自転車で回る郵便配達員のシーンなどでは、計算されたカメラの運動の中で全ての対象がうまい具合に運動しつつ画面に収まる。アンゲロプロスはどうかというと、彼のカメラワークは柱などお構いなしに対象の運動を追い、空間をぶった切る。『旅芸人の記録』などでは空間を横断しつつ時間をも横断することがあり、とにかくダイナミックなカメラワークがダイナミックな物語構築に貢献している。加えて、とにかく長回しは実時間を切り取り、物語への観客の参加を促すので、その意味で両者の映画は、観客に対して休みなくひたすら映画と対話し思考することを強要していると言えるかもしれない。

 

「世界の救済」というテーマ

 世界の救済は、タルコフスキーの作品群を貫くテーマであり、『アンドレイ・ルブリョフ』や遺作である『サクリファイス』に顕著に現れている。また『ストーカー』『ノスタルジア』『惑星ソラリス』からも汲み取れる。では、世界の救済とは何なのか。これは難しく考えるよりはタルコフスキーの芸術信条であると解釈したほうが良いように感じる。つまり、芸術の目的は世界の救済にあり、もしかしたらタルコフスキーの場合は映画制作を通した己の救済、映画を通した観客、世界の救済を模索しているのかもしれない。

 

注:この救済というテーマのロマンチシズムへの傾倒みたいなところがタルコフスキーの好き嫌いの分かれるところでもあると思う。『惑星ソラリス』や『ストーカー』などは原作があるものだが、タルコフスキーの作品のために原作の本来意図するテーマを大きく外れて、というより原作はむしろタルコフスキーの作品のための枠組みを提供するにとどまっていると受け取れる。
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