ルドン展についてのメモ

2月8日から、三菱一号館美術館でルドン展をやっている。三菱一号館美術館というのは良いところで煉瓦造りの建物と、落ち着いた雰囲気、加えてミュージアムショップで扱っているギフトが良く出来ている。始まったばかりの特別展でも人は多くならないし客層も落ち着いている印象を受ける。とはいえ、選別は完全ではなくて類人猿からすっかり進化が止まってしまったかのような煩い女がいたはいたのだが。たまにクソ女が紛れ込んでしまうのは美術館の仕方ない点なんじゃないかと思う。


f:id:kanasimino:20180210225814j:image

 

今回のルドン展はルドンと彼の描いた植物をフィーチャーしているという点でユニークだ。ルドンといえばボードレール悪の華』の挿絵が(僕の中では)一番有名なんだろうが、目玉のある植物とか幻想の怪物とかの銅版画は少年の心を忘れていない人間ならやはり見ているとかなりワクワクする。加えて僕は脳が映画に冒されているので初期の『スペインにて』の時点でエッチングは荒いのだけれど、それでも構図とコントラストはかなり意識されていて、そういうを映画の構図と繋げて考えてしまう。以下は展示の一章から追っていくことにする。

 

 一章

『ペイルルバードの小道』『メドックの秋』を見ると、飛び出してきそうな絵に驚く。よく見ると被造物のレイヤーが前後にある(背景前景というよりはレイヤー)。後ろのレイヤーは空とかと合わさってフラット気味なのに対して、前のレイヤーは立体感を演出するために筆運びを変えて絵の具が盛られているのが分かる。

 

二章

説明の一つにルドンはキアロスクーロ(明暗法)を意識していたとある。それは銅版画『夢の中で』の黒い木と空間の白の対比であったりに既に見られる。また、この濃淡の配置は『ヤコブと天使』のように彩色になっても現れている。彩色において、ルドンの色、特に背景の色彩は混ぜられ、何かになろうとしている以前のデュナミスのような様相を呈しているように感じられる。もしくはヒューレのような状態か。それらが表現されているように思う。ちなみに話は変わるが、『キャリバンの眠り』においてキャリバンの上でウヨウヨしているハエみたいなのは熾天使なのではないだろうか。

 

三章

三章で触れられるアルマン・クレヴォーは『夢想』にあるように、ルドンによってほとんど神格化されている。『若き日の仏陀』は良い。ルドンの神秘主義への憧憬みたいなのをひしひしと感じる。この他の何点かも合わせて正教会のイコンに似た印象を受ける。本質が似たようなもの何かもしれないし、もしくはイコンを参照しているのかもしれない。

 

四章

ドムシー男爵の食堂装飾ということで本特別展の目玉であるし、確かに凄いことは凄いのだが、展示のライティングがとにかく良くない。ガラスに反射して見えない。加えてこれは言っていいのか分からないのだが、やはりルドンは小品が似合う。彼のまなざしは被造物を構成する最小単元へと向けられているわけであるし。

 

五章

良い。気持ち悪いのにどこか愛嬌のある怪物がウヨウヨ展示してあって良い。『起源』などで、胚芽から独自の進化をする人を描くルドンの斬新な空想に触れられるのも興味深い。

 

六章

例えば展示番号68の方の『蝶と花』を見ていると、ルドンのまなざしは、在るものが無いものの漠とした広がりの中から不確かながらも生じていくその過程へと向けられているのだなと感じる。そして、蝶が花であり、花が蝶であるかのようにルドンにとってその存在の境は絶えず揺れ動くわけだ。

 

七章

ゆっくり三十分程度眺めていたいのは、やはり『大きな花瓶』だろう。この展示空間は本当に素晴らしい。暗い部屋に絵画だけに向けられた弱めのライティングで絵画が浮かび上がっている。部屋の広さもある程度余裕があるので全方向から満遍なく見ることができる。絵の右側に長椅子もあってここに腰を落ち着けて見入ることができるのも良い。黒コートのスラリとした美人が絵の前に立っているとコントラストで最高に良い。ルドンの黒を見てからパステルや油絵などの彩色に移るとその豊かさに驚かせられる。その描かれている対象が実のところまだ完全なエンテレケイアへと至っていないのだと、何ものでもなく、何ものにもなれる(もしくはなれない)動の豊かさの可能性を感じる。

 

最後に、ルドンの彩色絵画のレイヤーについてもう少し触れてみたいと思う。前後にレイヤーが分かれているように感じるというのは既にメンションしたが、最前に(花などとして)赤が印象的に散らしてある場合がある。これは例えばその下が白もしくは青ベースの場合、絵画全体を引き締めている(小津のカラー映画みたいなことを言ってしまっているが笑)。加えて、蝶と花に直接的に見られるように、俺は芸術という虚構を用いて現実を揺さぶるのだというルドンの信念を感じ取ることができると、この画家を好きになれるのかもしれないと思う。